日本の与党・自由民主党は9月29日に総裁選挙を行い、岸田文雄前政調会長を第27代新総裁に選出した。この岸田新総裁の祖先が、台湾北部の港町・基隆市と浅からぬゆかりを持っていたことが分かり、台湾で大きく注目されている。
基隆市の林右昌市長は30日、メディアの取材に対し、岸田新総裁の曽祖父である岸田幾太郎氏が1895年、基隆市の「哨船頭」に呉服店「岸田呉服店」と喫茶店「岸田喫茶部」を経営していた事実があることを認めた。林市長は、かつての歴史が台湾と日本を結び付けていることについて、「基隆市として誇りに思う」とした上で、これが今後の台日関係の進展につながることに期待を寄せた。
林市長によると、岸田新総裁の曽祖父である岸田幾太郎氏は1867年、広島県広島市に生まれた。1895年、28歳で基隆へ移り住み、弟の多一郎氏とともに現在の基隆市信二路と義二路の交差点に「岸田呉服店」と「岸田喫茶部」をオープンさせた。呉服商のほか、材木商も営んでいたという。幾太郎氏は基隆に4年間滞在した後、1899年に広島県呉市に戻り、別の事業を始めた。(なお、奇しくも基隆市と広島県呉市は、2017年4月に姉妹都市協定を結んでいる。)
基隆市は近年、文化や歴史の保存や古い建築物の再利用などに力を入れている。「岸田呉服店」と「岸田喫茶部」があった建築物も保存状態が極めて良く、現在の家主も文化や建築物の保存に積極的に取り組んでいる。「岸田呉服店」があった場所は現在、洋食レストランになっている。「岸田喫茶部」があった場所にはいま、基隆の老舗書店「自立書店」が入っている。
林市長によると、義二路の一帯は清朝時代に「哨船頭」と呼ばれていたが、日本統治時代の1931年、日本人によって「義重町」と改名された。台湾全土でも最も栄えた商業街道で、当時は「基隆銀座」と呼ばれていた。「岸田呉服店」があったのは義重町2丁目18番地である。現在の基隆市信二路と義二路が交わる場所に、いまも2階建てのクラシックな建築物が残る。当時は高級な呉服や舶来品を取り扱っていたという。
その隣にあった「岸田喫茶部」は、国民政府が台湾を接収したあと、「小上海小酒館」として経営を続けていたが、1951年に閉店した。その後、「自立書店」の創業者・陳上恵さん(今年1月逝去)が借り、1963年にはこれを買い取った。「自立書店」は1947年創業の、台湾最初の繁体字中国語の書籍販売店だ。基隆市文化局は、文化部(日本の文科省に類似)の「私有老建築保存再生計画」を利用して、市内の古い建築物9件について国の補助金で修復することにしているが、そのうちの一つがこの「自立書店」となっている。
林市長は、「この歴史が台湾と日本を結び付けるものとなっている。基隆市は、自民党新総裁とこうした縁があることを非常に誇りに思う。また、台日の友好関係がより深まるよう期待している。基隆市はこれからも、日本の関連都市とより多くの交流を持ち、双方の感情をより深められるようにしていきたい」と述べている。